遠回りして帰ろうか


苦手な人

 テスト週間中は部活が出来ないからと、理緒の組んだハードな自主トレーニングメニューをこなして、わかつで晩ご飯。一人寮に向かって歩いている途中、どっと疲れが押し寄せて来た事に気付いた。
 今日は、水曜日。日曜日を過ぎればすぐテストだから勉強をしなくちゃいけないのに、正直うまく頭が働くとは思えなかった。
 今日はタルタロスもやめて、いっそ眠ってしまおうか。

 此所の所、少し予定を詰めすぎていたかもしれない。転校とか戦いとかでピンと張っていた緊張の糸は、ゴールデンウィークの連休であっさりと切れてしまった。
 そうなると、馴れない日常で蓄積されていた疲労が一気に身体に重くのしかかる。
 重たくなって来た足。疎らな電灯の下を早足に進んで行く。静寂が耳に痛い程で、私はイヤホンのスイッチを入れた。


 ――落ち着く。


 途端に忙しなく震える鼓膜。ああ、連休で疲れてたら、話にならないなぁ。ふう、溜息を吐く。もっと体力をつけなくちゃ。これではこれから、本当にやっていけないぞ!頑張れ!!

 毎日、目が回りそうな程忙しい。けれどやっぱり、頼られる事は嬉しかった。頼られるだけじゃなく、勿論、たまには私も話を聞いてもらったり。そんな小さな支え合いがくすぐったくて、嬉しくてたまらないのだ。自分はこんなにも人との触れ合いに飢えていたのかと、驚く程に。

 だって私は十年前、両親を亡くした時―――



「あ、おかえり」



 頭がぼんやりとする。
 玄関扉を開けると、ラウンジのソファにゆかりが腰掛けていた。弓の手入れをしているらしい。すぐに私から視線を弓に戻したゆかりを尻目に、私は、ふ、と短く息を吐く。
 頭がぐらぐらする。ずくりと疼いたこめかみをそっと押さえた。


「どうした、顔色が悪いぞ」


 すると、何時までも立ち尽くす私を不審に思ったのだろう。キッチンの方から、真田先輩がひょいと顔を出した。その手にミネラルウォーターが握られているから、調理をしていた訳じゃなさそうだ。
 そう言えばたまにゆかりが料理をしているのを見掛けるけど、他のメンバーがキッチンに居ること事態、結構珍しい。大抵は自室か、此所で何かしてる事が多いのだ。晩ご飯も外食かテイクアウトの牛丼、順平なんかだとカップ麺で済ませている。
 まあ、桐条先輩はお嬢様だし、それ以外の男性陣が料理してる姿は想像もつかないから、当たり前と云えば当たり前なのかもしれないけれど。それにしても、そんな食生活でよく肌が荒れないものだなあ。特に真田先輩は、羨ましいくらいに美肌だし。


「ただ少し、疲れただけですよ」


 錆び付いたような表情筋を、ぎぎ、と動かして微笑む。内心、ぎくりとした。どうも私は、この人が苦手らしい。それはただ単に、同じ寮に住んでいるからと言うだけで敵意を向けてくる女の子がいるからとかだけじゃなくて。なんと云えばいいのか。

 例えばはじめ、特別課外活動部に入る入らないの話の最中、私は大いに戦いを渋った。いきなりそんな話しをされたってついて行けないと云う事も然り、怖いからと云うシンプルなものも然り。そんな私に真田先輩は、「いいからちょっと付き合えよ」と言ったのだ。
 タルタロスにはじめて行った時も、「わくわくするだろ」なんて言っていたし、どうしてこうも好戦的なのだろう。
 ちょっと付き合うのに命懸けてたまるかと云うのが本音。なんで毎晩戦ってるのと言われたら、多分私は、ちゃんと答えられない。
 早く復帰したいと彼は言う。
 あんなにも怖い場所に戻りたいのだと。この間のモノレールの作戦の後も、何度そうぼやいていたか。まるで自分自身を大切にしていないかのようなその言動に、私はたまに、何か違和感を感じてしまうのだ。


「とにかく今日は早く休め。美鶴には俺から言っておく」


 ぽん、と頭に手が乗せられて、ぽん、ぽん、とそれからまた二、三度、軽く撫でられた。いつの間に近くに来て居たの、とか、今のは何、とか考えるより早く、先輩は何事もなかったように私から離れて行った。恐る恐る手を伸ばして、さっき先輩が触れた部分にぽふ、と手のひらを乗せてみる。子供扱いにムッとするより、驚きがそれを上回る。こんな事されるの、何時ぶりだろう。
 名残惜しい、なんて思ってる自分にハッと気が付いた瞬間、私はそそくさとラウンジを後にした。
 ずっしりとした鞄は鉛のように重い。半ば引きずるように階段をのぼって、自室、ベッドに倒れ込む。


「やっぱり、苦手…」


 ぽつり、呟きは誰の耳にも触れずに消える。真っ暗な室内で枕に顔を押し付けて、私はゆるりと目を閉じた。

- end -

20100115

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